このページで詳細を残しておく宿場は中山道69次の51番太田宿。
有益・無益にかかわらず参考書籍をたよりにした自分の踏破記録として残しています。
一生使う自分用の記録・備忘録ですがどなたでもご活用いただけるよう中山道専用サイトとして公開しています。
中山道69次の51番太田宿情報
基本情報
- 本陣:1
- 脇本陣:1
- 旅籠屋:20
- 家数:118
- 鵜沼宿8.8km←|→7.3km伏見宿
引用元:Amazon.co.jp: 中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版) : 岸本 豊(中山道69次資料館長): 本
本陣位置
高札場位置
無料駐車場位置
脇本陣林家向かい
太田宿で一番良さげな無料駐車場は脇本陣林家の真向かいにある空き地で将来はわからないが現在(2022年)来訪者用の無料駐車場として開放されている。
中山道会館
脇本陣林家からもかなり近いこちらの中山道会館も無料駐車場として利用できる。会館は入場無料と謳われているが実際には道の駅と変わらずなんとなく地産品を売っている。特に貴重な展示物があるわけではなさそう。
駐車場の中央にエノキとヤドリギという木がありそれが名所だったりもする。
太田交流センター駐車場
交流センター利用者と太田宿来訪者以外の利用は遠慮くださいと書かれているので太田宿来訪者なら大丈夫。前述の2箇所が万一いっぱいだったときはここも使える。
写真と簡単な内容
訪問日時
2022年10月29日名古屋での出張のついでにレンタカーを1日借りて岐阜県までドライブがてら鵜沼宿とここ太田宿に立ち寄る。
写真とコメント
今渡の渡し場跡(南岸)
古井(こび)一里塚跡
太田の渡し灯籠(北岸)
灯籠に太田の渡しと刻まれていた。
法華経塚と飛騨街道追分
おそらく地図でここらへんから右上に伸びている線が飛騨街道。
新町木戸門跡
跡といっても碑が1本経ってるだけでなにも残っていない。
旅籠 旧小松屋
ちなみにこの旧小松屋のすぐ前に駐車場があるが勝手に停めてはいけないらしい。
飛騨街道道標
旧太田宿脇本陣林家住宅
庄屋と問屋を兼ねていた林家。一部無料で中を見学できる。
御代桜酒造
本陣の東隣にどでかくて古い建物があるので写真を撮っておいたが、あとで調べたら本陣の酒造権をを継いで営業をしている酒造だそう。
本陣の門と本陣跡地
作ったのは和宮降嫁のタイミングだそうでそんなに古いものではない。
本陣跡地の広い敷地に1軒ぽつんと大きめの家が建っていた。
こちらに本陣跡という碑が立っている。
▼奥へ行ってみると庭園が保存されていた。
それなりに回収されているけど表側だけは古さをとどめている民家
太田川並番所跡
特に参考文献はないが川を渡る荷物やら人やらを改めていたのであろう。
「木曽の棧、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と歌われたぐらいの険阻なところだったから人とモノの改もそれなりに厳しかったのであろうか。
高札場跡
枡形1
▼左が京都方面で奥へ行くと先程の高札場の交差点に出る。ここが枡形の1つ。
枡形2
文献にはないがさきほどの道(左)からさらに京都方面へ進み右にある虚空蔵堂を回り込むように鍵状に曲がっているのは枡形にしか見えない。
太田代官所跡
枡形からちょっと近いところに代官所跡が学校の敷地の一部にある。
能書きによると何年か下った1868年田宮如雲という人物が総管になったとき一緒に働いていたのが坪内兵右衛門という人物で坪内逍遥の父だそうな。
立て札の斜向かいにゆかりの妙見堂というのがある。
虚空蔵堂
ここらあたりの川を挟んだ両岸で承久の乱が行われたらしい。
勝山(取組)一里塚跡
太田宿から鵜沼宿方面へ行った中間地点に近い場所。小さい川を渡るときが目印でなんとか見つけたが碑以外の形跡はほとんど残っていない。
見損なったが次回行ったら見たい史跡
遠いのでそこそこ調べてから行った今回は十分見たいところを回れた。したがってほぼ悔いはないもののもし万一もう一度行ったら見たいところを挙げておく。
- 土田一里塚碑
木曽川南岸なのでちょっと行きにくい。
マイマップ
地図のダウンロード方法はパソコンで地図部分右上の[ ]みたいなのをクリック→地図を別画面で表示→左サイドバー上にある点(・)3つをクリック→地図をコピーまたはKMLをダウンロードでできます。
地図をコピーを選ぶと自分のGoogle Driveに地図がコピーできると思います。KMLでダウンロードをしたあとはそれをCSVに変換する方法は検索して調べてください。
気になる史跡が青、無料駐車場が黄色P、宿泊施設がオレンジベッド、道の途切れが赤い銃のマークでそれぞれ載せてある。鋭意更新中。
参考にした資料
上記の他にもみどころいろいろ書かれている。
鵜沼宿8.8km←|→7.3km伏見宿